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プロフィール
HN: ペンギン1号
自己紹介:
小論文の添削は、解答例はあっても、実際は書き手の考え・経験・テーマによって個別の対応をしなければならないので、「うーん」となることが多い。しかし、事務的に添削を仕上げず「うーん」と考えるところがまだフレッシュマンだなあなんて、自分の青さに苦笑したり。
ちなみに、ブログは論文じゃないのでチカラ抜いて書いてます。文法や言ってることが乱れちゃってることも多いですが、仕事のときはちゃんとやってますのでご心配なく。
どんな解答用紙であれ、解答者は高いカネを払って受験してるんだから、それに見合った赤ペンを入れて返してやらなきゃいけないと思う。そうするとぜんぜん採点料に見合わない出血大サービスになっちゃうんだけどね。( TーT)
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採点は解答者とのバトルである。日々襲い来る珍答・難解文字群・大きなカンチガイ・人生について考えさせられる答案と戦い、罵倒することなく、また苦情を受けることなくマチガイを正すことは、職業として経験しなければわからない、毛が抜けそうな難しさなのである。守秘義務のために誰にも話せない苦労を抱えた同業者の皆様、ここで語り、嘆き、苦しみと笑を分かち合いましょう。穴に向かって叫んだ王様の床屋のように。そして受験者はこっそりこれを参考にするといいさ。
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環境問題の解決法が問題だ
政府や企業の、二酸化炭素の排出枠を買うことで環境基準をクリアしようとする動きがよく報道されるようになりました。

本来、設備投資などでCO2の排出量を減らすべきなのに、それが出来なきゃよそで余っている排出枠を買って、自分が減らしたことに出来るという変な仕組みです。

設備投資より安上がりだから、CO2はこの際垂れ流しで枠買って、数字的な社会的責任だけクリアしておこうよという動きです。


いやぁ・・・。それって、「うちの前のゴミ集めて、毎日清掃の人が来ているよその公園に持っていけば、うちの前の掃除は分別の手間もなく時間もかからずばっちりよ」みたいな・・・。ああ、なんてうそ臭い環境活動。


困るんですよね・・・。
企業だけでなく政府までもがそういうことをし始めると。

環境問題を扱った小論文の問題に対して、今まで生徒は、CO2を削減する方法を、自分なりに考えて答えていたわけです。どんな生活の工夫が良いか、どんな企業努力が必要か。

だけど、「CO2排出枠をよその国では余ってるから買っちゃえばいい。工業国はますます工業を発展させ、そうでない国は工業製品を自給せず、工業国から購入するわかりに植林に勤しむとよい。地球1個単位で考えると、それでバランスがとれ、ますます人類は便利な生活をしていけるのである」って生徒が書いちゃっても、「前向きではない」という指導ができないって話になってきました。
個々の国や企業のノルマが達成されるだけで、環境問題の解決にはならないっていうことがわかっていても、そういうやり方が日本で一般化してしまうと、「常識に則る意見だからOK」という判断をしぶしぶ下さなければならなくなるのではないかと、ちょっと戸惑っているのですよ。

ほんとうに困るなあ。「国の政策がまずいって書きなさい」という指導はやりにくいですけどね。。。。どうしたものか。
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自分勝手
「自分」という単語は実に厄介。
・己のことを指す。
・他人の事を書いている文の中で、その他人自身を指す。
・「私」の代用。

この3つ目の「私」の代用は、小論文では禁止。
自分を指す一人称は「私」であって、「僕」「俺」「自分」「我輩」など、他は全部だめ。

で、myselfやhimselfの話になると「自分がそう思っているだけで」とかいう表現が多発するのだが、本人は気が付かない他人の気持ちをお話しよう。

第三者がどうしたこうしたという話を書いてる最中に「自分は」と書かれると、私はいやーな感じになる。
最初に書いたように、この「自分」という言葉は、書いてる本人にも書かれてる第三者にも化けられるのだ。つまり、意地悪く読めば、違う方を「自分」として読むこともできる、とても微妙ではっきりしない言葉なのだ。

だから、第三者の行動を例に挙げながら自分(書いてる人ね)の意見を述べる文では特に、「自分」を使うのはやめたほうが良い。
第三者ならば「彼自身」、己ならば「私」を使い、主語をはっきりさせて、読み手が余計な頭を使わなくても理解できる文を心がけてもらいたい。

 

 
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ボランティア
これもよく出る問題かな。

ボランティアの意義を問われたときにどう答えますか?
私が見た答案のほとんどは、
「自分のためになるから良いことだ」
という答えをくれた。

しかし、ボランティアというものは、本来「無償」であるはず。

将来職業に就くための知識が得られた。
これがきっかけで進路を決めることになった。
自分が鍛えられた。
誉められてうれしかった。
内申書や履歴書に書くことが出来る。

こういうのは、働いた側の利益であって、
これが「意義」というなら、無償の精神からはずれてしまう。


答案には何を書けばいいのか困ったら、こういうところから考えてみるのもいいんじゃないかな。

・報酬をもらってその仕事をする場合とどう違うか。
・会社や組織の一員として仕事をする場合にはない融通のよさ。
・しがらみのないところでの純粋な奉仕と感謝。
・誰でも、自分の出来るレベルで、両者が負担にならない程度の手助けが出来る。

こういう根本的なところから、ボランティアというものが社会の中でどんな役割を果たしているか考えてみよう。行政や会社組織には手の届かないところでのサービスが、ボランティアには出来るはずである。
そのサービスが何で、どんな付加価値があるかはそれぞれ考えて。



※そういうのを有料でやろうとすると、ニッチ産業になるんじゃないかとか思ったりも。

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人はひとりでは生きていけない?
コミュニケーションを扱った小論文を読むと、複数の人がこんなことを書く。
「人はひとりでは生きていけないのだから」

この、定型句のような言葉は何を根拠に書かれているのか?
確かによく聞く言葉だが、生物学的に根拠はあるのか?

ということで、調べてみました。

この言葉は、「生きているといふことは」で始まる永六輔の詩のなかの一節です。
お寺の説話や大学の学長の講演の中でもよく使われるようです。


だけどそれを、何かを論じる中の根拠として引用するのはどうでしょうかね。ひとつの考え方であって、一人で生きる人もいるわけです。2次大戦からずっとジャングルに隠れ住んでた方たちや、離島で暮らす人たちとか。そりゃ、心細いことや困難も多いだろうけれど、この有名な一節を使ってばっさりと他の事象を判断するのは、私はまずいと思うんだな。。。

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ここは危険です
看板にそう書いてあったら、どうしますか。

何が危険なんだろうって思わず立ち止まって、まじまじと眺めたり、覗き込んだりしませんか?
何が危険かわからないから、その場から立ち去らない。

だけどそういう答案が実際に後を絶たない。


どこが(その池の畔に立つと)
どうして(急に手がにゅっと伸びてくるから)
どうなのか(近寄らず、今すぐ逃げろ!)

ね。はっきりと具体的に書くと、
「あぶない」なんて書いていなくても「こりゃあ危ない」って、誰もが感じますね。


「具体的に書きましょう」という判子を作っておきたいくらいかなりの頻度で、はっきりしない表現を見かける。
書いた本人は
「なんでだよ。危ないってはっきり書いてるじゃんか。」
「いちいち具体的に書いてたら字数が足らなくなるしー。」
と口を尖らせていそうだが、
うまい小論文は、よくこれだけのことを詰め込んだなと私たちを唸らせるほど、「何がどうだかわかりやすい」。

余分な言い回し
不要な修飾語
先に述べたことの言い換え、繰り返し
私的な感想

そういうものを削ってしまえば、内容はいくらでもコンパクトになり、そして濃くなるのだ。
だから、たとえたった5文字でも、不要ならば省く。
そんな些細なことでも5箇所あれば25字の節約。それだけあれば短い1文が書けそうだ。

大雑把に書かれた文は、読み手にすればかえって手間がかかる。
話を早く済ませたいならば、なにがどうなのか、面倒がらずにきちんと書いて欲しいのである。
 
 

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